伝統と事業拡大の間で変化の道を選ぶ。
天野 本日お話しできますこと、大変楽しみにしていました。もともと繊維産業の機械製造からスタートし、その後原子力関係やビルメンテナンス、現在は人材派遣なども手がけておられますが、どういう進化を経てこられたのでしょうか。
中山 私は2代目ですが、もともとは父が始めた鉄工所から会社がスタートしました。福井は繊維産地で、もともと染色する機械の設計や製造を行っていましたが、化学繊維ができたり消費者や社会構造の変化だったりと、さまざまな理由で繊維業界も変化していったんです。それなら我々も繊維産業から軸足を変える必要があると思い、方向転換していきました。
天野 そこで原子力産業に着目したのはどのような理由だったのですか?
中山 30~40年前の嶺北地方の工業出荷高は6,000億円~7,000億円程度で、県外資本が入ってようやく1兆円に届くという状況。福井の産業を見渡すと、繊維が斜陽化しつつあり、原子力産業が実は重要な役割を担いつつありました。会社の今後を考えると、新たなビジネスシーンに飛び込まざるをえない環境があったのです。
天野 そこから今では9つのグループ会社を展開するまでに事業を拡大されていますが、変化を選ぶ際に迷いはなかったのでしょうか?
中山 当然、「変えていきたい自分」と「変えてはいけない自分」の狭間で迷うことはありました。私は小さい時から鉄工職人として育っているから職人に憧れはありますが、憧れだけで商売はできません。そこで「伝統」と「会社の繁栄」は分けて考えようと思ったんです。私の心の中では「うちは鉄工所だ」という思いをずっと持っていますが、変化が必要な時には「鉄工所ではない」とアイデンティティを否定する。その繰り返しでここまできました。
天野 私は今11代目なのですが、先代が続けてきたことから方向転換するにはとても勇気がいります。中山さんのお話はとても興味深いです。
中山 事業というものは、変えていいことと変えてはいけないことがあると思います。どれくらいの比率で先代が作った伝統を受け継ぐか。天たつさんは食文化を扱っている商売なので、変化を選ぶか否かの選択はより難しいですよね。天野さんの悩みはよく分かります。