天たつと私
vol.08
祖父から学んだ商売の教えと贈り物
祖父から学んだ
商売の教えと贈り物
株式会社 タッセイ
代表取締役社長
田中陽介様
株式会社天たつ
十一代目店主
代表取締役社長
天野準一
2021.09.01

自分のやりたい道に進むことが人生だと思ってた。

天野 本日は、取材を受けて頂いてありがとうございます。僕たちの出会いからですが、お互い1980年生まれで、幼稚園が一緒だったから、もう長い付き合いになるね。

 

田中 幼稚園と中学が同じだけど、あとは学校も大学も別々で、接点がなかったよね。でも、2人とも大学が東京という共通点はあって、僕が青山学院大学で。

 

天野 僕が、世田谷の国士舘大学。

 

田中 東京には行ったものの、商売をやっている家の長男に生まれているから、「あんたは跡を継ぐんやざ。」と周りから言われいて。耳元でずっと囁かれ続けて、素直にそういうものなんだなと思ってた。

 

天野 一緒一緒。(笑)。そういえば、幼稚園の誕生会のこと覚えてる?自分の夢を発表するみたいなことがあったのを。将来の夢としてケーキ屋さんとか警察官とかみんなが思い思いに発表したんだけど、その帰りに母親に、「あなたは天たつの息子でしょ。警察官にはならないわよ。」って言われた記憶が鮮明にあって。陽ちゃんと一緒で、その時はそういうものなのかと思っていたよ。(笑)。

田中 大学は経営学部を選んで、いずれ福井へ帰ってきて跡を継ぐんだろうなとは思っていた。だから東京では、「福井では見られないものをいっぱい見にいくぞ」と、渋谷でミニシアターの映画を見たり、下北沢でバンドを見たり、高円寺で古着を買ったりしたな。そういうことをやっているうちに、野田秀樹さんが作・演出した『半神』という舞台に出合って演劇の道にのめり込んでしまって。未経験なのに演劇部に入って、ずっと芝居とバイトしかしていなかった。

 

天野 地元から東京へ行った人のネットワークみたいなものがあって、陽ちゃんが青学に行って、演劇をやっているというのは何となく聞いてはいたんだよね。それで、大学卒業後はすぐタッセイさんに?

 

田中 入社前の武者修行というか、うちのいちばんの取引先の大手建材メーカーに内定が出てたのね。でも、父親(=田中猛雄会長)には「このまま東京でバイトしながら役者続ける。入社はしないから。」と言い切っちゃって。

 

天野 それは、なんでまた?

 

田中 大学の先輩たちが次々と売れ始めていく中で、僕もオーディションを受けたら受かっちゃって。漫画家の内田春菊さん脚本の舞台で、600人の中の6人に。それは調子に乗るよね。「いけるんじゃないかな?」って。(笑)。続けないと勝負の土俵にも上がれないわけで、バイトしながら舞台を続けて、映像の仕事がしたいからというので芸能事務所にも入ってさ。

天野 僕も、その頃は、プロのスノーボーダーになりたくて。大学を卒業して、福井に帰って、父親にプロになりたいって話をしてさ。そうしたら父親は「好きにやれ。この会社は俺の代で終わってもいい。」と。そんなこと言われたら、逆に「それはいかん」って思うでしょ?(笑)。でも、25歳までは好きにさせて欲しいと宣言して、専門学校に入って3年間、山へこもったんだけど、大怪我をしてしまって。鎖骨の骨折で、同じ所を2回折ったんだわ。ボルトを入れたまま大会に出たらまたクラッシュして。ボルトが入った骨ごとまた折れたのね。それが福井に戻ることになった転機だった。

 

田中 僕は、テレビの仕事もぽつぽつ決まりだしていたし、家業の商売とか福井に帰らなきゃとかまったく思っていなくて。そのうち母親が単身で東京にやってきて、お酒飲みながら一緒にご飯食べたのね。そうしたら、泣きながら「あんた、頼むから帰ってきてくれんか。長男だし、男1人だし、これ以上東京にいるあんたをかばうのはしんどい。」と。それまで、自分のやりたい道に進むことが人生だと思ってた。でも、母の話を聞いて初めて考えた。家族と一緒に家業の商売を行う人生とするのか、自分自身がやりたいことをやる人生を進むのか。どっちがいいのかなと天秤にかけて、半年くらい悩んで、「家族と共に生きる福井に帰ろう」という結論になったのよ。

自分の周りの「幸せ」を重ねて会社をつくる。

田中 帰ると決めて臨んだ最後の仕事が、あるミュージシャンのMVの仕事だったのね。そこでご一緒させてもらったのが、僕らの同じ年である意味いちばんのヒロインの広末涼子さんだった。セリフが一つ二つある役を頂いて、広末さんと同じフレームに入ることができて、「これでやり切ったことにしよう。」と芝居をやめる踏ん切りがついた。

 

天野 人生のターニングポイントってなかなかないと思う。最終的に心を決めた決め手になったことって何だったんだろう?

 

田中 やっぱり、母の涙を見て人生に対する見方が変わったこと。自分のやりたい道を突き詰めて幸せになるんじゃなくて、周りの人たちとともに幸せの形を作っていく方が、いい生き方になるんじゃないかなと。でも、帰ってきていざ仕事を始める時は「何?建材屋って?」みたいな感じだったのよ。

自分ひとりの為よりも、みんなで目指すなにか。

天野 福井にいる頃は家業の仕事を見ることはあまりなかった?

 

田中 高校の夏休みに、倉庫でベニヤ板をトラックに積むアルバイトはしてたけど、断片的だよね。今はずいぶん変わったけど、建設業はいかついし、言葉遣いも荒っぽいし。必死の思いで帰ってきたのに、初めの頃は「俺、この空気無理かも…」みたいな感じだった。(笑)。

 

天野 タッセイさんって、社員職人チームの「TAT(タット)」を立ち上げたり、デザイン会社さんと一緒にムービーを作ったりという新しい取り組みをしてるじゃない。それが若い職人さんの採用にもつながってる。「作りたい未来」というのが根底にあって、ひとつずつ作り込んでるイメージがある。お父さんやおじいさん(=創業者の故・田中正義氏)と世界観を共有したストーリーが見えるんだよね。自分の幸せと周りの幸せを一緒にして会社をつくっている。最近はM&Aで事業領域を広げたりもしているけど、陽ちゃんが将来どこに行こうとしているのかも気になる。M&Aも「作りたい未来」への足固めなのかなって。

 

田中 建築資材流通の裾野は結構広くて、周辺に挑戦できるサービスはまだまだある。一方、高齢化で跡継ぎがいなくて、そのサービスを担う人がいなくなっちゃう会社が意外と多い。それはすごく惜しいから、引き継ぐために準備をしましょうという投げ掛けをしてるのね。うちは「『建てる』を応援する会社。」というのを掲げてる会社だけど、建築のプロの方々から「建物を建てるんだったらタッセイに頼まないとね。」という状況にはまだまだ可能性がある。自分一人で出来ることって、たかだかしれていると思っている。何事も周りの人たちと一緒にやった方がうまくいくし、みんなでおいしいものを食べて「わぁ!美味しいよね。」と言い合っているのを見ていると、自分はもっと嬉しくなる。それが、僕の俳優業の経験から来るものなのか、創業者の教えなのかは分からないけれどね。

祖父から学んだ
商売の教えと贈り物。

天野 おじいさんから商売のことを教わっていたり、おじいさんのことがすごく好きだったというところ、僕とも重なる共通点なんだよね。

 

田中 タッセイと天たつの商品との関わりというのも、じいさんから学んだ商売の教えにつながるのね。うちの仕事って卸売業だから創業当時、すごく苦労したからだと思うんだけど、買ってくださるお客さんを大事にするのと同じくらい、「品物を売ってくださる仕入先さんを大切にするように。」と、じいさんから言われていて。天たつさんの商品を贈る相手って大半が仕入先さんなんだ。

大手メーカーの担当者さんって、大抵は福井の人じゃないから、転勤の時に福井らしいものを差し上げようと天たつさんの商品をいい感じにいろいろ盛り合わせてもらう。「江戸時代から続く日本三大珍味の一つに『汐うに』っていうのがあって、ちょっとつまみながら日本酒を飲んだり、白いご飯を食べたりすると最高なんですよ。しかも、そこの若旦那が30数年来の幼なじみでね」ってストーリーも語れるし。

 

天野 それ、すごくうれしい。そんなふうにギフトとして使ってもらえて、渡す時にもそういうストーリーを語ってもらっているなんてさ。

 

田中 県外からおいでのお客様だと、自分より10歳も20歳も年上ということもあったりして。その様なお相手に、40歳そこそこの若造がうんちくを語っても人生経験という点では太刀打ちできない。けど、「ありがとうございました」ってお土産を渡す時に、天たつさんの何百年という歴史と伝統が後押ししてくれるという面もある。

 

天野 以前、「うんちくを伝えられるように、商品のことを教えてよ。」ってお客様に言われたことがあったよ。

 

田中 そういうことをしたい人が大勢いるということやね。私と天たつオリジナルストーリーカードみたいなのを作れるとよいかも。天たつさんとか汐うにの紹介が書かれたショップカード的なものって、天たつさんの言葉であって僕自身の言葉ではないので、「私がなぜ貴方に天たつの商品を選んだのか」ということが書き込めるような。

皆の幸せのために
「利他の心」で。

天野 気持ちを伝えるという点で、お手伝いできることはまだまだあるかもしれないな。ところで、気持ちを伝えることに関連して、普段のお仕事で社員さんに伝えていることってある?

 

田中 ひとつ挙げるとすれば「利他の心」かな。福井に帰ってきてすぐの頃、親父に「座右の銘って何?」ということを聞いた時に「利他の心や」と即答で返してきたのね。利他って何?。初めて聞く言葉で意味すらわからない。そこで親父が出してくれたのが、京セラ創業者の稲盛和夫さんが書いた「利他の心」についての本だった。利他というのは利己の反対語で、「俺が俺が。」と行くんじゃなくて、「私はいいから、まずあなたがお食べなさいよ。」というような心のことを言うのだと。そうした心で接した方が結局、自分も幸せになっていくのだと。贈り物というのも、その中のひとつの方法に過ぎなくて、贈ればなんでもいいというわけじゃないし、高ければなんでもいいというわけでもない。たとえば100円の物でもうれしい時だってある。

 

天野 贈り物を受け取った方が、「私だからこれを贈ってくれたのか。」と感じていただけることが、贈り物選びではとても大事なことなんだと思う。天たつの仕事は、お客様のお気持ちをお贈りするお手伝いなんだということを再認識できた時間でした。本日は貴重なお話を本当にありがとうございました。

PROFILE
株式会社 タッセイ
代表取締役社長
田中陽介
1980年5月14日生まれ。
青山学院大学を卒業後、俳優として舞台や映像で活動。
2007年 株式会社タッセイ入社。
2019年 代表取締役社長就任。
役職名は取材当時のものです。

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