創業文化元年( 1804年 )
旧越前福井藩 松平家の御用商として

越前雲丹専門店 天たつ。創業当時は「天王屋」と称し、越前福井藩 松平家の御用商人してお城への出入りを許されておりました。創業当時より浜の年貢だった雲丹(うに)を一手に取扱いいたしておりましたが、一般の方とのお取引は禁じられておりました。越前松平藩は、徳川家康の次男・結城秀康を祖としており、将軍家とも繋がりが深く、献上品として各宮家や各大名へ越前雲丹を贈られていたそうです。越前の名産として越前雲丹は各地へ知られる事となり、珍しく希少な美味しいものとして、知多のこのわた・肥前のからすみと並び、日本三大珍味と称されるようになりました。
越前雲丹の製法 「 塩蔵法 」の考案

初代当主・天野吉兵衛の頃
江戸時代中期。文化元年(1804年)。天たつの前身である 「天王屋」は、旧越前福井藩 松平家の御用商を命じられ、 名字帯刀を許されました。
三代目当主・天野五兵衛の頃
当時の越前福井藩主の松平治好公より、日持ちのする「うにの貯蔵品」を作るようにと命じられた三代目当主・天野五兵衛は、塩蔵法による越前雲丹(塩うに) を考案。その製法を 越前海岸一帯に広めたと言われております。
七代目当主・天野辰吉の頃
幕末の頃。七代目当主・辰吉の代になると、尊王思想が一段と盛り上がり、天皇家と語呂が同じの天王屋では畏れ多いと、松平春岳公から「天たつ」と屋号を頂戴いたしました。この頃は越前雲丹の他に、蟹の缶詰なども販売していました。

八代目当主・天野吉朗の頃
明治の終わりの頃か、大正の頃の写真でしょうか。このころは越前雲丹(塩うに)の販売の他にも、鯖街道にて京都に鮮魚も卸していたそうです。この名前は、九代目・十代目にも引き継がれ、今現在も屋号として残っております。また、お振込先の口座名は「天たつ天野吉朗」となっております。
九代目当主・天野吉利の頃

右記は、昭和30年頃の写真です。大正生まれであった天たつ先代社長。第二次世界大戦、福井大震災を経験。まだ交通事情の悪かった時代、単身リヤカーを引き越前海岸から雲丹を運ぶなど大変な苦労もあったようです。福井震災の時には、貴重な資料も大半が焼失してしまったのですが、それでも折にふれて、従業員達にもいろいろな話をしていました。またお客様も先代とお話する為にご来店頂く方も多く、お客様とのふれあいを大切にしておりました。毎日帳場に立たぬ日はなく、商売一筋で職人気質な方でした。(店長談)
十代目 現在の当主・天野吉壹(あまのよしかず)

現在は、昔ながらの越前雲丹の製法「塩蔵法」とともに、十代目当主に引き継がれております。古くから越前雲丹は、ご注文を頂いてから手作業にて、各 雲丹用の容器に詰めております。下記の画像は、桐箱の容器に竹のへらで詰めている様子です。

社長よりコメント取材中。今後の展開を。
