創業から二百年を数える天たつ福井片町本店。
先々代にあたる天たつ九代目、天野吉朗の記事の切り抜きから、お話をご紹介いたします。
ご在位60年と福井
自分史の中の天皇
⑤
ウニ献上
胸中に職人人生の糧
天野吉朗さん
福井市順化二丁目
福井市片町の通り沿いに林立するビル群の一つに、創業百十二年というウニ製造販売の老舗「天たつ」がある。この6代目の当主、天野吉朗さんは、小さいころから先代の実父とともに日本海の荒波に育つウニづくりと採取打ち込んできた。陸軍特別大演習があった昭和八年には、物心がついた十五歳ではあったがウニづくり職人としてはまだまだ半人前。そんな折、天皇陛下のご来県で、献上ウニを手掛ける父の姿に、伝統職人の真の厳しさを初めて感じることになった。「教育勅語の中で育ってきていたため、陛下に対する崇拝の念は既にあった。しかし、ウに採りの時のあの物々しい雰囲気や徹底した検査には恐怖心を感じざるを得なかった。あれから五十三年もたった。今になってみても当時の状況を鮮明に思い出す。
越前海岸の採取場所には、腰にサーベルを下げた警察官をはじめ、当時としては数少ない背広姿の役人らが厳しい表情をして立ち並んでいた。通常なら天野さん自身も海に飛び込んでウニを採ったりするのだが、この時ばかりはウニの殻を割る側にまわった。「体が硬くなって言葉も出なかった」天野さんはそのことだけをよく覚えている。
家に戻ってからの作業はすべて父の手にかかった。まな板の上に、ウニを0.5ミリの厚さに引き伸ばす。この中から不純物を取って常熟卵だけにする。今ではほんの特定の客だけに限って作る「ねりウニ」の手法だ。父に何か言葉をかけようものなら怒鳴り声を上げられそうな緊迫感が漂っていた。片隅でそっと眺めていた少年の目には、事の重大さが父の手を通して強く焼き付いていた。
塩が命といわれ昭和十一年から二年間、東京の料理屋へ奉公に。毎日親方や先輩に殴られながら、やっと覚えた塩加減だったが、応召で終戦までの七年間という軍隊生活が待っていた。軍人気質の骨の髄までたたきこまれての復員。終戦にぼう然としたものの、いつまでもそうはなしていられなかった。病床についた父に代わって六代目を継ぐ必要があったからだ。
それから二年後の二十二年十月。地方巡幸でご来県された陛下に、今度は自分の手でウニを献上することになった。「陛下に万が一のことがあったら身を捨ててお役に、、、。」こんな気持ちでウニ選別のための竹べらをとった。芦原町の開花亭にお宿をとる際には、自らお迎えに加わった。「もったいない」の気持ちから、あふれんばかりの涙がほおをつたった。
この後、二回のご来県の時にもウニを献上しているが、二十二年の感激が天野さんの人生を支える大きな柱となった。「実直でさえあれば人も自然に助けてくれる。陛下のお姿から学ばせていただいた信条だ」語気を強める。おまけに祖先は松平藩の重鎮。天皇を敬う血が、六十八歳の天野さんの中に脈々と流れている。
=写真 昭和22年10月、地方巡幸でご来県。福井市役所屋上から県民の歓迎にこたえられる天皇陛下
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