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先々代のおもいでから 3話目

2013.07.03
メディア掲載

創業から二百年を数える天たつ福井片町本店。

先々代にあたる天たつ九代目、天野吉朗の記事の切り抜きから、お話をご紹介いたします。

元祖
越前ウニ

江戸時代は、三珍味
天野屋が初めて塩づけ考案

「ウニ」といえば下関のウニが全国的有名で、市場には「えぞウニ」から作る北海道産のものと、北九州の「つぶウニ」から作る「下関ウニ」がはばをきかせているが、地元「ばふんウニ」も、決して下関のウニに尖らぬあじである。

江戸時代、京都、大阪、江戸で「尾張のコノワタ」(愛知県知床半島でとれる)「肥前のカラスミ」(長崎県野母町主〇地)と並んで「越前ウニは全国名産品の三珍味といわれた実績を持っており、いまでも一部の食通から「下関のウニより越前ウニの方がうまい」という評判を得ている。数年前、東京上野の松坂屋で全国の名産品展示即売会が開かれたとき、県水産課の光野技師がちょうど持っていった「越前ウニ」を数個展示し、試み定価(三百七十五グラム千円)をつけたところまたたく間に売り切れになったという。

 

「ウニ」が食膳にあがるようになった歴史は相当古く、奈良時代の「雑徭令」のなかに「棘甲〇(うに)六斗、麩海鼠(なまこ)二十六斤」という文字がある。ついで平安時代には「類聚雑要抄」(るいじゅざつよしょう)の永久四年(一一六年)正月二十三日のくだりには「雲〇(うに)〇、栄螺(さざえ)」とある。では「越前ウニ」はいつごろからとれだしたのだろうか。はっきりしていないがいまのように「塩ウニ」として売り出されたのは江戸の後期だという。文化元年(一八〇四年)福井の海産物問屋、天野五兵衞(五代目)が藩主松平治好公「はるよし」から「食料品を貯蔵せよ」と命ぜられ塩を使ってウニを長持ちさせることを考えだした。この塩漬けウニを食べたところとてもうまかったので、五平衞はさっそく藩主に献上し、さらに京都、大阪、江戸に出荷したのがはじまりである。

 

「ばふんウニ」は県内の各沿岸でとれるが、とくに丹生郡越前町から以北で十~三十メートルの深さにいるものがよく、漁場もほとんどこの地区。県の規定によってウニの最も実があるという七月三十一日から八月二日までが漁期となっている。浅海漁業を営む零細漁民にとってはかき入れどきで、こどもも主婦も一家総出で海にもぐってとる。この期間は短いが、専門的な海女は一人で一日、約一万円近い水揚げをするという。とったウニを一つ一つ包丁で切り、中にある卵を取り出し、これに塩をふる。塩加減がむずかしくウニの味と、磯の香をなくさないようにするのが秘訣である。ただ、北海道や北九州のウニに比べ生産髙が少なく、そのほとんどが県内でさばかれ、東京、大阪方面の需要に応じることができないのがタマに傷。

 

最近「ぜひ越前ウニを….」と望まれ、贈答品として県外へ発送することも多く、各地に「越前ウニの名が売れ、ファンも多くなっている。県水産課は数年前から投石などによってウニの増殖につとめているが、なにぶん漁場がせまいので、大幅に生殖が伸びないのが悩みのタネ。だが昭和二十八年七十六トンだったのが、だんだんふえ三十二年九十三トン、三十三年百二十七トン、三十四年百九十七トン、三十五年百二十三トンと少しずつ伸びているので期待はもてる。=写真は店頭に並べられた「越前ウニ」

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