
古くは奈良時代から

越前雲丹(塩うに)。古くは奈良時代に、若狭の国より朝廷に贈られた様なのですが、定かな古文書に載っているわけではありません。 江戸時代に塩蔵法が考案されるまでの越前雲丹は、今よりも水分が多く「泥うに」と呼ばれ、ひしゃくですくっていた為、瀬戸焼のうに鉢にいれられていました。
※ 右図参照 瀬戸焼のうに鉢 ( 複製品です )
「塩蔵法」の考案

江戸時代になって「塩蔵法」による越前雲丹の製法が考案。軍事用の保存携帯食として、また朝廷や幕府の各藩への贈り物にも使われておりました。越前雲丹の製法「塩蔵法」の考案は、当店の創業より数えて三代目当主・天野五兵衛の代。当時の福井藩主の松平治好公から、「日持ちのする うにの貯蔵品を作るように」と命じらた天たつの三代目当主・天野五兵衛が、現在まで続く「塩蔵法」による越前雲丹(塩うに)を考案。その「塩蔵法」による越前うにの製法を越前海岸一帯に広めたと言われております。
浜の年貢として

江戸時代の越前福井では、塩うには各浜の漁師たちの年貢の一つとして作られ、旧福井藩に納められておりました。藩に納めた塩うには、軍事用の備蓄食や各宮家・他藩への贈物としていたようです。
さまざまに贈られる品々の中でも、「長崎奉行の持品のからすみ」「 尾張公の持品のこのわた」「 越前公の持品の越前雲丹(塩うに)」。この三品は美味である上、いずれも大量製造ができず入手が困難であったことにより江戸時代より日本三大珍味と称されております。
※ 左図参照
大日本物産図絵
江戸時代の越前國雲丹取之図
ただ、塩分は今よりもかなり濃く、3割を超えるくらい塩が入っていたものと思われます。越前雲丹(塩うに)が作られるのは、7月20日頃の解禁日から8月中旬の暑い夏のさなか。今では塩処理してすぐに冷やす事ができますが、そのころでは塩が少ないと雲丹がいたみ、とけてしまう為です。それから徐々に塩分は控えられるようになりましたが、昭和40年代でも塩分は2割くらい入れられていました。その後、だんだんと塩を薄くする様になり、現在では10%程度におさえられています。
旧越前福井藩 松平家の御用商

塩うには、日本三大珍味・越前雲丹(えちぜんうに)と呼ばれ、各浜の漁師たちの年貢として福井の藩に納められておりました。天たつは、旧越前福井藩 松平家の御用商として代々この越前雲丹を一手にとりまとめておりましたが、この頃は一般の方との取引は禁じられておりました。
古来より希少な高級珍味として人々に愛された越前雲丹ですが、一部の限られた方だけに食されており、現在のように広く一般の方への販売、お召上がり頂くように なったのは明治以降になってからです。
福井藩主 松平慶永公(春岳公)から贈られた
水戸藩家老の香川敬三氏への書簡

拝啓
秋も涼しくなり益々お清安ぐことよろこび致しております。私の旧領地、越前で採りました新しい雲丹を、昨日 天皇陛下(明治天皇)に差し上げました。差し上げました余の雲丹ですが五箱お届けいたします。御領収の上、ご賞味下さいます様、望みます。 不具。
といった内容のお手紙が現存いたしています。 ( 明治20年頃のお手紙です。)
